沖縄平和ネットワーク 代表世話人 村上有慶

 わたしたちは今、平和ガイドと呼ばれています。はじめは沖縄の歴史を学んできて、中でも沖縄戦の実相と戦後の米軍の軍事全面占領と現在に至る基地の集中に驚きをもったところから始まりました。沖縄は1972年に日本に復帰し、施政権こそ戻りましたが、いまだに日本全国にある専用基地の75%もの面積が集中しているという状況は変わりがありません。

 一方、自由渡航が許されるようになってから、本土の教師たちが沖縄へやってきました。独特の歴史と風土もさることながら、沖縄戦の事実と基地の実態は、驚きに値するものでした。やがて、自らの驚きを子供たちにも伝えたいという思いもあって、修学旅行で平和学習の行く先として沖縄を選ぶようになりました。1981年、沖縄大学と高文研がはじめた「沖縄セミナー」は、当初は教育セミナーとして始まりましたが、参加者が最も驚きを持ち興味を抱いたのは、沖縄戦の真実であり、米軍基地の実態でした。1990年まで延べ10回実施したこのセミナーへの参加者たちが次々と生徒たちを沖縄へといざない、80年代の終わり頃には、沖縄への修学旅行生が5万人を超えるまでになっていました。

 1992年に東京都が、翌93年には神奈川県が修学旅行への飛行機使用を認めたことが契機となって、沖縄への修学旅行は爆発的に増加しました。2000年度で全国から1600校、30万人余の生徒たちが沖縄へとやってきます。その約60%がガマに入ったり、戦争体験者の話しを聞いたりといった、何らかの平和学習に取り組んでいます。

 1986年に実施した「歩く見る考える 戦跡基地案内人養成講座」が一つの発端となって、「沖縄平和ガイドの会」が誕生しました。それまでは「反戦ガイド」などと揶揄されたり、観光業者から煙たがられたりしていましたが、本土の教師たちと連携して、平和教育を実践するために県内の市民が受け皿を担ったのです。観光バスのシナリオにはない沖縄戦の実相や基地の実態を伝え、沖縄県民の痛みを知ってほしいと訴えました。

 増えつづける修学旅行に対応するには、常駐の事務局と事務所が必要になるくらい忙しくなってしまったため、「沖縄平和ガイドの会」は1994年、「沖縄平和ネットワーク」として再出発しました。沖縄平和ネットワークには活動の方向によりいくつかの部会があります。平和ガイドに立つことは同じですが、自らが学ばなければ、生徒たちに語りかけることなどできないので学習部会での学習会の実施が会の重要な活動の柱になりました。どうしても自ら調査し考えながらやらなければ、活き活きとした話はできないもので、会の中に、文化財・ガマ部会や基地部会をつくって、調査研究活動をも行ってきました。また、行政や大きな組織からの援助など一切もらっていないため、会活動を支えるのも至難の技です。会員が支払う年会費5,000円を基礎にして、修学旅行の学校からカンパをいただいて会運営にあてています。本土にも会員がおり、会員同士の情報交換のために、会報部会が「根と枠」という会報を二ヵ月に一回発行しています。現在、会員は140名ほどですが、その四割は本土の教師たちです。会員のうち約40名ほどが日常的に平和ガイドとしての活動を行っています。



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