辺野古とボクの「ミッシングリング」

大島 和典(沖縄平和ネットワーク・基地部会)

熱心に情勢を聞く座り込み参加者 1

熱心に情勢を聞く座り込み参加者 1
(2004/05/17)

「辺野古と平和ガイト」というのがボクに与えられたテーマなのだが、どこにポイントを置いて書いたらいいかこの時点でも分からない。結論が出なくても書かなくてはならないとしたら辺野古の座り込みに行き始めた動機や辺野古で座り込みをしていて何を考えたかを書くしかないと思う。ただ、たどり着いた結論めいたものは、あくまでボク自身のものであることはお断りするまでもない。


辺野古と「現場主義」

 「平和ガイド」になるために本土・徳島から今年1月に移住してきたボクとしては学ぶべきこと、体験しなくてはならないことがあまりにも多い。勿論毎月1回の「なんくるセミナー」は誠に有り難い。しかしそれだけでボクが考える「平和ガイド」になれる訳はない。図書館での資料調べ、証言者の本の読破など座学的な学習は当然だ。だがやはり仕事(放送局の報道・制作)で貫いて来た現場主義で、戦跡でも基地でも直にボクが現場に立って何を見たか、何を聞いたか、何を感じたかをベースにしなければ人には「伝え」られないのではないかというのが辺野古行きの一つの動機であった。今起きている基地問題はどうなっているのか、「平和ガイド」を目指す者としてというより、いわばジャーナリスティックな関心がまず辺野古へ駆り立てたと言っていい。

 それと一方では「平和ガイド」の役割についてこんな風に考えていた。つまり「平和ガイド」のテーマは大別すると戦跡と基地とになると思うが、中高生を案内する場合、多くは南部の戦跡(つまり沖縄戦の実相伝達の場)にウエイトが置かれているのが実情だろう。時間的余裕がなければそうせざるを得ないのも確かだし、それはそれで重要な平和教育の場であるには違いない。また沖縄戦の実相の把握・理解から始めるのがその後の沖縄問題、日本の平和問題、さらにはグローバルな平和を実現するための大事なスタート点であるのも間違いない。ただボクはこれを今の沖縄の抱える問題、それはひいてはというより優れて日本の問題である「安保」にリンクしてこそ、さらには日本および世界のかなり悲観的に見える現状に抗いながらではあるが平和を創り出す方向に結びついてこそ平和学習に取り組む真の意味がある(少々言い過ぎではあるが)と思い始めていたのだ。当たり前のことだが沖縄の基地問題はそれほどに「安保」と不可分の関係にある。

辺野古と「沖縄戦」

 元広島市長の平岡敬氏(氏は元ジャーナリストでもある)は「原爆体験だけによりかかっていたのではないか」と広島での平和教育の弱点について語っているが、これは沖縄にも一定当たっているのかも知れない。辺野古などの基地問題をかっての沖縄戦の今日的表現(現象)ととらえるところまで行かないと「原爆は惨い!沖縄戦は酷かった!!犠牲者は可哀想だ!!!」で終わってしまう。これでは戦争指向勢力にやられてしまうのではないか。今、日本が憲法9条などなきが如きに急速に戦争に傾斜していくなかで自分たちが「犠牲者」になりかかっていることをイメージすべきではないか。それがイメージ出来なければボクら(これは日本国民という意味だ)はもうすでに「犠牲者」になっているとさえ思う。辺野古はその流れに抗する闘いの現場の一つであるのではないかという認識がボクが辺野古へ座り込みに行くもう一つの理由でもあった。

 3月末に5日間、嘉手納基地の監視活動に参加した。基地周辺を自己研修として探索して回った。沖縄の現実の一端にぶつかるにつれ解決すべきはこれらの現実ではないかと思った。その現実に立ち向かい闘う人間が「平和ガイド」であることが重要ではないかという思いがさらにボクを辺野古へ駆り立てたのだった。そうでないと戦跡と基地問題を統一的に捉えて未来を指向するボク(「平和ガイド」たる以前の「人間」としての)になり得ないのではないかとも思ったのだ。

辺野古と「得るもの」

 浦添から辺野古まで高速を利用して1時間、可能な限りテント撤収まで座り込んで、見て、聞いて、話して……そしてかつての職能を活かしてビデオでの記録(これは一部編集が進み、闘いを広げるために使ってもらっている)をして帰る。 ただそれだけなのだがそこで得るものは想像以上に大きいものがある。

 辺野古の海の美しさ。そこに新基地を作る計画の何たる醜悪さ。新基地がキャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、さらには北部訓練地と距離的、機能的に結びついて訓練を飛躍的に強化拡大する米軍側の環になる……それ故にこの新基地建設阻止闘争は基地に反対し平和を求める闘いの環になることを今日的課題を実感としてつかめる。そして何よりもさまざまな問題を抱えながらも現実に辺野古に座り込む人々がいること、またその背後にいる何十倍何百倍の参加出来ない人々の熱い思いが感じ取れる感動は大きい。

辺野古と「ミッシングリング」

 ボクが沖縄に住んで居なかったため「現場主義」とはいかなかった、かつての沖縄の反基地の数々の闘いがある。例えば伊江島から始まった「島ぐるみ」の土地闘争、恩納村の都市型戦闘訓練施設撤去闘争、県道104号越えの実弾演習廃止の闘い、読谷の不発弾処理場返還の闘い、「本土並み復帰」を掲げた祖国復帰闘争(これには一部本土・沖縄で関わったが)などなど……数々の沖縄の先輩たちの不屈の闘いの経緯とその成果と教訓が何であったか……はボクのなかで大きく抜け落ちている部分である。しかしそれらの教訓を引き継いだ形での辺野古の闘いが存在していること……などから過去の闘いの数々をボクなりに探る手がかりを掴んだように思う。

 また季節の節それぞれに行われる習俗的な儀式の根底に流れる先祖崇拝(これは生命の流れへの揺るぎない確信でもあろうが)の心から発する「子孫へ平和を渡したい」という言葉の強さ・重さをおじい・おばあとの話から実感もした。

 また概観すれば沖縄各地の闘いが沖縄の誇るべき芸能文化の基盤としての「集落で結びついた人の絆」とベースを同じくしていることに反基地など抵抗運動のパワーの根源があることを知ったことは大きい。あわせて徳島で各地の芸能の記録活動をやって来て「郷土の伝統芸能を伝える条件は何か」を探っていたボクとしては大いなる解答を見付けた思いもした。

 このように県外人のボクの中で沖縄戦から基地問題を結ぶ上で、つまり沖縄の過去・現在・未来をつなぐ上で抜け落ちていた、いわばミッシングリングにあたる様々なもの、それを辺野古で見付けつつあるのではないかと思ったりしているのだ。

最後にもう一度、ボク自身に言い聞かせようと思う。辺野古の現状を話せるようになるために辺野古に座り込みに行くのではない。辺野古を闘う人間が「平和ガイド」になるためにだ。……と今までもこんな風にしてボク自身を状況の中へ追い込んで来た、そんな手法は相変わらずだなぁと苦笑しているところではある。

熱心に情勢を聞く座り込み参加者 2

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