(第58号;2006) 宮良 信男 「満月の夜・綱虫ムシはとぅんもーいもーい」
綱引きを見たことがありますか? 好きですか? あなたのムラには残っていますか? 曳いていますか? 今夜は綱引きの話をしよう。僕の知る限りでは、現存する沖縄の綱引きは200字くらい、旧暦の15日を中心に6月15日のウマチー綱、25、26日のカシチー、アミシ綱、7月13‐15日の盆綱、8月15日の十五夜綱でおおよそ4つのグループに分けられる。
綱引きが近づくとムラ人は、活き活きと人が変わる。人格さえもと思うことがある。綱狂いの人たちは自らを綱虫と言う(虫:一つのことに熱中する人)。綱引きは、ムラのむすまい(団結)、融和のために欠かすことが出来ないと確信しているようだ。一年はまるでこの日のためにあるかのように気負う。
ところで僕のような各地の綱に惚れて追っかけをしている人を、何と呼ぼうか。僕は名刺の肩書きに綱虫ムシと記している。沖縄のつなひきを30年、約150ヶ所位見せていただいたのだから、綱虫が好きなムシ、「綱虫ムシ」と名乗って憚(はばか)らない。十五夜はとぅんとぅるもーかー、とぅんもーいもーい(欣喜雀躍・きんきじゃくやく)血圧はお月様まで舞い上がり、眼は素敵なものをたくさん見過ぎて、お腹一杯ならぬお眼目一杯で糖尿状態。
平和ガイドさんたちが、島尻の地下深くガマを案内している頃、僕は地上のむらムラの人気(ひとけ)のない、電話もつながらない公民館を探し訪ね歩く。この付近には現在、学校や保育園、公民館になっている場合もあるが、昔のうまいー(馬追い・馬競走場・直線道で綱引きの場にも)跡がある。
夜の戸張りはムラを闇に包む。遠くに爆竹の音や、村のスピーカーから綱引き歌が聞こえる。車で走り回ると、真っ暗な農道にゴザをしいて談笑している光景に突然出くわしビックリすることがある。道路の脇には小さなロープが無造作に置かれ、まもなく綱引きが始まることを知らせる。
このような、誰も訪ねて来ない細々とした綱引きでも、守り続ける心意気には熱きものを感じる。恋しいものにやっと出会えたような感慨で、きーぶるだーちゃー(鳥肌が立つ)する。一年間の蓄えたムラとムラ人のパワーが綱に結実し全開する瞬間に立ち会えた時は、弾けるエネルギーが心地よい。
僕は、あちこちのエネルギーをただで浴びるのだから幸せ者だ。細胞の隅々を刺激し、活力の源になるのだから有難い。もし僕が長生きすることがあるなら綱引きのおかげであろう。
それにしても、若手不足のムラの事情の中で、こうもまつりにこだわるのは何故だろう。まつりはムラ人にとって、神との約束事に違いない。天との約束、誇れる約束、生きていくための、共同体の知恵なのだろう。無信教の僕は天と神と自然を同一だと理解している。とすれば、自然と調和するための生活のリズムとも言える。この世とあの世の人々たちの交流の場とも言えないか。
島尻の綱などは特にそんな思いを深くする。ムラの隅々、ムラの地下ガマ深く、戦争などで生きることを不本意に絶たれた人々と共に食べ・飲み交わし・語り・謳い・踊る大事な時間・場であると思える。その場が暗い農道にゴザを敷いただけの暗闇であればある程、華やかさとほど遠く、三線の数が少なければ少ない程、集まったムラ人が少なければ少ないほど、一層、強く感じる。写真には写らないが隙間だらけの綱の空間に楽しそうに綱を引く人たちの姿が、僕にはしっかり見える。おじいーもオバーも綱を手にして、笑い転げている。じーびりー(地べたにすわって)の懇親の場には、ここかしこに座り、談笑している。
「マスコミ? 教育委員会?」などと聞かれることが多いが、先日のオバーの自問自答気味の質問が今までで一番好きだ。「兄さんは何処から来たの? アガトー(遠く)南風原からねぇ〜。親戚が居るの? 親戚も居ないのに来たの。偉いね〜、偉いさ〜。昔はもっと大きかったよ、人もたくさんだったさ〜。でも、あんた偉いさ〜」。僕は偉くなってしまったのだ。
逆上(のぼ)せ上がって、ツアーに紛れ込み、ついにカンボジア行きの飛行機に飛び乗った。綱引きのレリーフがあるというのだ。「・・・南方ぬアンコールワットぬ石壁(いしくび)んかい・・・綱引ぬ彫(ふ)らっとーいびぃーくとぅ(彫られている)・・・(沖縄語昔話)」。直接稲ではなかったが水神・稲神を暗示し、大蛇の胴体を善と悪の神が引き合う綱引きの図であった。
きのう、綱引きの原点と言われる幻の綾門大綱が108年ぶりに部分復活した。男と女が引き合う綱引き、大和組と琉球組が引く綱引きなどは、いつかビールでも飲みながら話すことにしよう。とりあえず一人で喉を潤そう。乾杯!