(第57号;2006) 宮良 信男 「開放された基地の御祝」

 読谷の象のオリ(楚辺通信所)の一角、知花昌一さんの土地が返還され、そのお祝いへ参加しないかとお誘いがあった。時間前に着いたが入口が騒々しい。弁護士や反戦地主会の方々も見える。どうやら国のお役人がマスコミのカメラ持込を拒んでいるようだ。僕はマスコミでないし位の感覚で通路を入ろうとしたら、困るんですとやんわり遮ぎった。無視して進んだら動きを止めた。無礼そうでマスコミには見えなかったのだろう。返された土地へ行くのにケチや注文をつけられることもないし、妨害する権利もないはずだ。一瞬ムッとしたが、これ幸い、いつもの癖で待てよ、なぜ止めるのか、撮られたくない光景でもあるのだろうかと鈍い頭をひねってみた。

 それは直ぐにわかった。今、目の前の光景がそれだ。反戦地主会の有銘政夫さんが、返還された土地への巾1.5m、特設道路と称される細い長い130mほどの通路を歩いている。知花さんの土地は象のオリの一角で、どうしてもオリの中を通らなければ行けないのだ。そのために、その知花さんの土地236平方メートル(約70坪余)全体と、そこへ至る通路をフェンスで囲っている。ここは基地でありながら、通行を保障している不思議な空間なのだ。かなり無駄金をかけた空間は、見られたくない一つかもしれない。ここの通行に発言権があると言いたげなのだ。

 お祝いは、「うまんちゅのちからし とぅゐむどぅちゃんどぉー いっぺーにへぇーでーびる(訳すれば/みんなの力で 取り戻したぞ たいへんありがとう)」の横断幕を掲げ、ヒージャー汁(山羊汁)やソーキ汁(豚の骨付きあばら肉の汁物)を食べながら、一緒に闘った仲間や地主会、弁護団など、謡ったり踊ったり闘いの思い出を語ったりの楽しい和気藹々とした時間だった。この場にふさわしい名前はないか、知恵を貸してくれとの提案もされた。ここは返還されたのではない、開放されたのだと司会は強調する。興に乗じて、円形の崩れたこのオリを、これからは「象のオリ」ではなく「象のオリもどき」と呼ぼうとも。

 知花さんは、ここを平和学習に活用したいと話された。弁護団もこれまでの国の対応を腹立たしく語った。収用委員会による地籍明確のための立ち入り調査を求めた時、国が拒否するためについた数々の嘘など、この現場で学ぶことはかなり効果的で、権力のいかにも浅はかで傲慢で馬鹿馬鹿しい嘘に驚くであろう。

 さて、この袋小路の土地は、ガマが地上に現れたようにも見えるが、定置網や追い込み漁の袋網にも似ている。平和の網場になるのでしょうか。忘れてはいないと思うのだが、全く同様な土地が自衛隊那覇分屯地の中にあります。1982年米軍用地特措法適用外で返された上原太郎さんの土地です。実態を掘り起こし、つなげた学習が必要です。理解に広がりが出るでしょう。現在、自由な出入りが出来ているのでしょうか。財産はどう生かされているのでしょうか。反戦地主への土地返還が、嫌がらせだったと言わせたくはありません。

 週末には、バーべキューや凧揚げ大会は如何でしょうか。凧は大名屋敷を覗き見るためにささやかな庶民の夢を托して上げたという話を聞いたことがあります。若い頃、日本人でなく反戦GIと呼ばれていたアメリカ人たちが嘉手納基地の滑走路と交差する一号線付近での凧揚げに付き合ったことがあります。空はどの高さまで地主の所有、権利があるのでしょうか。

 毎週休みの日に一坪菜園として開放するのも今風で良さそうです。ここに、ゴーヤー(苦瓜)、ナーべーラー(へちま)、モー瓜(ウイ)、チブル(夕顔)、シブイ(冬瓜)、チンクヮー(かぼちゃ)もいいです。パッションフルーツなど時計草の花がきれいです。誤解されたらいけません。フェンス沿いに植えたらいけません。堂々と真ん中に植えましょう。ただ、人でもそうですが、伸びゆくものを止めたり、芽を摘んではいけません。そこに、都合よくネット状のフェンスがあれば絡(から)まるのも仕方ありません。やがて、あの工作物一杯にまーさむん(美味しい物)が垂れ下がるようになったらどうしましょう。ウチナーむん(沖縄物)博覧市場です。

 弁護団にお願いするまでもなく、お隣さんの国には、主の許可なく勝手に実を取ったりしては法を犯すことになりますとやさしく注意しましょう。ゴーヤーを不法侵入で逮捕してもいいですが、枯らしてはいけませんとも。収穫に伺うのも厚かましいようですが、時々是非訪問しましょう。夕焼け空に沖縄の地場夏野菜が逆光で光り輝いた時、僕は満を持して、もう一枚シャッターを切るのです。カチャ!

(写真ムシ/ 文化財・ガマ部会)


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