(第53号;2005) 杉田明宏 「平和ガイドのアイデンティティー」

 連載の最終回にあたり、私の半年間の沖縄での平和研究活動にとって重要なパートナーであった平和ガイドという存在について、改めて考えてみたい。

歴史的経過

 言うまでもなく、沖縄のボランティアベースの平和ガイドは、復帰後の戦跡観光・慰霊観光における軍人賛美・戦場美談を克服し、民衆の視点から戦場の実相を伝える歴史的使命を帯びて七〇年代半ばに出発した。当時は「反戦ガイド」などとも呼ばれたが、八〇年代半ば以降「戦跡基地案内人」を経て「平和ガイド」といった名称で社会的認知を獲得した。試みに沖縄タイムスの記事データベース(九七年以降)で「平和ガイド」を検索してみたところ、二〇五件の記事が検出された。それらを見るとガイドの担い手が、当初の沖縄戦研究者や教師、戦争体験者から、自治体職員、自治体・資料館・NGO等のガイド養成講座受講経験者、地域住民ボランティア、観光バスガイドや個人タクシー乗務員有志、そして、大学生以下の世代によるもの等、かなり多様化していることがわかる。さらに、退職・転職後の第二の人生の柱としてこの活動を据える方々の増加も興味深い。

求められる多様な力

 さて、沖縄滞在中、多くの平和ガイドの方々の活動を身近に拝見し、また自分でも本土からの知人をガイドした数度の経験を通じて、たいへん多岐にわたる力が必要とされる活動であることに気づかされた。すなわち、戦跡・基地の現地解説者であるだけでなく、ルートのプランニング、資料・教材作成、平和資源(人・物・場所)の調査・発掘、交渉・調整、事前・事後学習支援等、スタディー・ツアーを充実させるために、点在・併存するさまざまな平和資源を平和学習の文脈で組織していく平和学習コーディネーターでもある。

 平和ガイドは、平和研究者、資料館職員、教師、平和・環境・人権NGO活動家等の人々が、それぞれの専門性や経験を活かして取り組んでいる活動である。しかし、だからといって平和ガイド自体の専門性が存在しない、あるいは、低いとは言えない。前述のように、案内する基地・戦跡についての深い知識を持つことは当然のこととして、学習テーマ配置(学習目標の構造化)・空間配置(地理的分布・移動経路)・時間配置(タイムスケジュール)を総合的ににらんで組み立てる力や、利用可能な平和資源についての知識と調達するための交渉力、実際の案内ができる詳細な知識、変化する現地条件や不測の事態への柔軟な対処能力、学習者の特性に応じて使い分けられる話術や学習スキル等、限られた時間と条件で実施される現地学習を効果的なものにしていく多様な力が必要とされる。であるからこそ、奥の深い、やりがいを実感できる活動として、多くの人を惹きつけているのであろう。

そのアイデンティティーの未来

 最後に、平和ガイドのアイデンティティーについて考えてみたい。「沖縄平和ネットワーク」では、平和ガイドを「平和学習のために沖縄を訪れる人たちや県内の小中高校生たちと、戦跡や米軍基地を歩き、戦争の実相や沖縄が抱えている問題を伝え平和について一緒に考え」る人であり、「戦争の被害者にも加害者にもならないと決意した戦後日本で、平和の創造に努力し、行動していく人々はすべて平和ガイドです」(パンフレット等)と、より広く定義している。平和学者ヨハン・ガルトゥングは「あらゆる種類の暴力に満ちた世界のありように、人間としての〈責任〉を感じ、暴力をなくすために意識的に努力する存在」として「平和ワーカー」の必要性を説く(『ガルトゥング平和学入門』)。さきの平和ガイドの規定はこの平和ワーカーのイ メージと重なるものである。

 平和ガイドが、戦跡・基地についての情報を提供するだけでなく、文字通り「平和」をガイドする存在だとするならば、破壊的過去を克服し、建設的未来を切り開いていけるという展望・希望を、次代を担う世代の中にいかに育てられるかが問われるであろう。沖縄には長い非暴力の歴史と、厳しい暴力と対峙してきた歴史とがあり、その中で蓄積されてきた平和資源が、日本のどこよりも豊かに存在する。その力を十分に活用して、若い学習者と対話しながら日本の平和・非暴力の未来を展望する--そのような平和ガイドを私も目指したいと考えている。

(大東文化大学/平和心理学)


Copyright(C) 2005 Okinawa Peace Network. All rights reserved.