(第49号;2005) 麻生 透 「戦争責任について」
私が所属している真宗大谷派(通称東本願寺)という仏教教団は、明治以降の繰り返されてきた戦争を「聖戦」と呼び、「靖国神社ニ祀ラレタル英霊ハ皇運扶翼ノ大業ニ奉仕セシ方々ナレバ菩薩ノ大業ヲ行ジタルモノト仰ガル」と述べていた。簡単に言うと、虚偽の仏教教義をつくりだし「英霊」は「菩薩」と等しいという宗教的意味づけを与え、戦争の推進に積極的に協力した。
戦後しばらくの間、このような事実を検証し自己批判することに腰が重かったが、1987年に「全戦没者追弔法会」という行事のなかで、戦争加担の責任を表明し、未来の戦争の防止に「身命にかえて」努力することを誓った。ちなみに、日本と同様に加害国であったドイツのプロテスタント教会の罪責告白が1945年、日本においてはプロテスタント系の日本基督教団の戦責告白が1967年のことであった。この二つの例と比較してみると、42年もの時間を要した真宗大谷派の戦争責任表明はあまりにも遅い。
その後、この戦争責任が沖縄戦とかかわっていることを具体的に表明したのが8年後の1995年であった。沖縄で開催した「沖縄戦50周年追弔法会」のなかで、教団が積極的に戦争を推進した結末として沖縄を戦場と化してしまったことを謝罪し、平和の実現に向け歩んでいくこと表明した。私は主催者の一人としてこの催しに企画段階からかかわり、ポスター作成にあたっては当時の沖縄県平和祈念資料館に掲げてあった「むすびの言葉」を拝借しポスターに使用させてもらった。
「戦争をおこすのは たしかに人間です しかしそれ以上に 戦争を許さない努力のできるのも 私たち人間ではないでしょうか」。私はこのシンプルな言葉を用いることで、戦争加担の罪責を持つ者として懺悔し、平和実現のための努力を誓うというこの「法会」の趣旨を明確にできると考えた。しかし思いはなかなか伝わらないもので、翌日のマスコミでは「全国から集まった僧侶ら300人が摩文仁で、戦没者のみ霊を慰めた」と報道されてしまった。趣旨のなかに「み霊を慰める」内容のものは一切ないはずであるし、そのようなプレスリリースも行なっていないにもかかわらずである。本当は「み霊を慰める」ことではなく、現在に生きる人間が戦死者の願いに思いを馳せ、戦争を二度と起さないための努力を誓うこと、その必要性を「むすびの言葉」に託して表明したかったのである。
あれから10年、私が勤務する職場では真宗大谷派関係者の沖縄平和学習のサポートや企画・開催を重要な業務と位置づけてきた。近年では年間10団体以上の平和学習をサポートしているが、そのほとんどを沖縄平和ネットワークのガイド部会の方々にお世話になっている。ガイド部会の方々だけではなく多くの沖縄の方々と出会い、そのなかから新たな課題を突きつけられることが多々ある。
このような学習を重ねてきたなかで、基地問題中心の企画は戦跡学習中心の企画に比べると参加者が少ないという傾向が見えてきた。戦跡学習は「心情に訴えてくる」が基地問題は「ややこしい」という印象があるようである。その原因の一つは教団が表明した戦争責任を個々人が徹底的に自問してこなかったことにあるのではないだろうか。または、その自問することの不徹底ゆえに、米軍基地という戦争をもたらすものを沖縄の人々に背負わせ続け、安全な場所で繁栄を享受してきたことへの罪悪性に気がつかないからだろうか。
基地問題という現実の課題に取り組んでこそ、42年もの時間をかけて表明した戦争責任が果たされると思う。逆にいうと、戦争責任を果たすということは基地問題への取り組みを抜きになし得ないのではないか。戦後60年に際して思うことは、今後も私が所属している仏教教団の沖縄平和学習を充実したものにして行きたいということ。ただし戦争責任をくり返し確認するだけで完結してはならない。これまでと同様、遅々とした歩みになるかもしれないが、学ぶだけで終わらさずに、沖縄の方々との出会いのなかで現実の課題に取り組んでいけるものにしていきたい。そうすることが未来に対する戦争責任の在りかただと思う。