沖縄よどこへ行く
(前略)
いま こうして郷愁に誘われるままに
途方に暮れては
また一行づつ
この詩を綴るこのぼくを生んだ島
いまでは琉球とはその名ばかりのように
むかしの姿はひとつとしてとめるところもなく
島には島とおなじくらいの
舗装道路が這っているという
その舗装道路を歩いて
琉球よ
沖縄よこんどはどこへ行くというのだ
(後略)
あまりに長い詩なので、一部のみ紹介するが、日本から切り離され、コンプレックスを感じながら本土に生きた獏の深い悲しみと望郷の念を感じざるをえない。
今回の随筆集は、1958年の11月から翌年の正月まで、わずか2か月だけ沖縄へ帰ってきたときの想いを綴った随筆がその大半を占めている。
なぜ獏は、生涯を本土で過ごし、沖縄へ帰ろうとはしなかったのだろうか。あれほど沖縄への郷愁を綴りつづけながら、沖縄へ帰るという気持ちはなかったようだ。獏の脳裏に残っていた沖縄は、少年期を過ごした戦前の沖縄であり、沖縄戦で破壊され、米軍に全面占領された変貌した沖縄ではなかったのだろう。自己体験の中の沖縄に生きつづけ、日本への復帰の動きすら希薄な1963年に亡くなっている。獏の深い絶望は没後に発表された「弾を浴びた島」という短い詩によく表われている。
弾を浴びた島
島の土を踏んだとたんに
ガンジューイとあいさつしたところ
はいおかげさまで元気ですとか言って
島の人は日本語で来たのだ
郷愁はいささか戸惑いしてしまって
ウチナーグチマディン ムル
イクサニ サッタルバスイと言うと
島の人は苦笑したのだが
沖縄語は上手ですねと来たのだ

一見飄々とした表現だが、帰京後しばらくは茫然自失として文書も書けなくなっていたと言うから、大きなショックを受けたのだろう。
「核も基地もない緑豊な沖縄の返還」が沖縄の願いだった。いまだにその願いは実現していない。そればかりか、基地の負担を利用して、日本政府から対価を引き出すことに汲々としている。その上にさらに、基地を恒久化する新たな基地建設にすら賛同している。これが獏が愛してやまなかった沖縄なのだろうか。すでに獏は、一度の帰郷を通して沖縄に絶望したのだろうか。帰省後わずか4年後に、59歳と言う若さで亡くなっている。
(山之口獏『山之口獏沖縄随筆集』平凡社、2004年刊、1200円)