(第42号;2004) 平良宗潤 沖縄戦の「常識」と「通説」を疑う 2
〜ひめゆり学徒の戦場動員
「法的根拠もなく」は疑問
『ひめゆりの塔の記』には「沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒207名は、軍命によって看護要員として、ただちに南風原陸軍病院の勤務についた」とある。また、ひめゆり平和祈念資料館には、「私たちの戦場動員は、いかなる法的根拠もない、異例の措置だったのです」(第1展示室 沖縄戦前夜、『同公式ガイドブック』20頁)と解説している。私たちの『新歩くみる考える沖縄』も、「学徒隊の塔」の項で、「生徒の戦場への動員は法的根拠がなく」志願という形の強制だった、としている(同書58頁)。
このひめゆり学徒の戦場動員についての常識、通説は正しいだろうか。私は何度か生徒たちから「本当か」と問われ、返答に窮した。なぜなら、軍命による動員は明らかだが、それに法的根拠がないとはいえない、法とは狭義では国会で制定した規範だが、広くは国家権力による強制を伴う規範、と考えるからである。また、この常識や通説は、「軍命」に抗すべくもない女子学徒を、「何の法的根拠もなく」戦場へ駆り出し、死に至らしめたという憤りと憐憫の情をかきたてる。だが、このような説明で納得させることが「ひめゆりの悲劇」や沖縄戦への理解を深めることになるのか、という疑問があるからである。

学徒隊編成と軍命の伝達
敵の沖縄上陸に備えて、軍と県は中等学校生徒の戦力化について協議、女学校上級生に看護訓練を行い、沖縄が戦場になったとき学徒看護隊を動員する、と決定している(『沖縄方面陸軍作戦』621頁)。『ひめゆり−女師・一高女沿革史』には、「3・24 部長(校長)住宅前で、出発式、南風原陸軍病院へ。3・25 看護要員として配属される」(738頁)とあり、軍命の有無には触れていない。
映画『ひめゆりの塔』(神山征二郎監督作品)では、西岡部長が「軍の命令により、生徒は学徒隊として従軍する。諸君は寄宿生を引率して、直ちに南風原陸軍病院に向かってくれ」という台詞で伝えられている。『ひめゆり戦史』(森口豁作品 日本テレビ放送 1975年)では、関係者の証言から、軍→県→学校(教師)→学徒という経路で軍命が伝えられたことを示唆している。

学徒戦時動員体制確立要綱
軍と県は何の根拠もなく、看護訓練や戦場動員を決定したのか。ひめゆり学徒が戦場へ動員されるまでにはさまざまな法令や閣議決定、文部省などの通牒がある。これらを年月順に追っていくと「国家総動員法」(1938年9月)に行き着く。支那事変以後の総動員体制の中で学徒の勤労奉仕は強制(義務〉的な作業動員にかわり、やがて戦場へ送られる。
「学徒戦時動員体制確立要綱」(閣議決定、1943・6・25)は「学徒ヲシテ将来ノ軍務ニ備ヘ国防能力ノ増強ヲ図ラシム」、「必要ニ当タリテハ直接国土防衛ニ全面的ニ協力セシメル」とあり、女子学徒には看護、保健衛生の訓練を強化し、「必要ニ際シ戦時救護ニ従事セシム」としている。いざという場合、女子学徒も軍務につかせることを想定している。「いまにして思えぱ、後の沖縄の〈健児隊〉や〈ひめゆり部隊(ママ)〉の悲劇の背景はすでにこの時点でできあがっていた」(山中 恒『勝利ノ日マデ』124頁)、という指摘は正しい。
「法的根拠」の有無を論ずるとき、「国旗国歌法」制定の経緯を想起する。「日の丸君が代」が学習指導要領で「望ましい」から「指導するものとする」になり、強制に反対する者は、その「法的根拠」を問うたが、「慣習法だ、国民の間に定着している」と軽くいなされ、結果として法制化を促進させた。閣議決定は省令などより下級機関を拘束する。学習指導要領(文部省令)の押しつけから免れられなかったことを思えば、「いかなる法的根拠もない異例の措置」と断定するのは適切ではない。むしろ女子学徒を戦場へ駆り出す根拠となったいくつもの法令や通牒を探り出し、教師や父母にはもはや阻止する術がなかったことを明らかにすべきである。