(第41号;2003) 平良宗潤 沖縄戦の「常識」と「通説」を疑う 1
                       〜沖縄守備軍と米軍の無血上陸

 常識は普通一般の人が待っている(べき)知識、通説は世間一般に認められている説、と『広辞苑』にはある。要するに普通、世間一般でそのように理解・認識されていることである。私たちの周りにはたくさんの沖縄戦の常識や通説に基づくガイドブック(案内書、手引き書)がある。私たちが通常テキストして用いている『新歩く・みる・考える沖縄』も県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館のガイドブックもその1つである。

 長年、常識・通説とされたことがらにも、再検討すべき用語やことがらがある。例えば沖縄に配備された第32軍を「沖縄守備軍」と呼び、米軍の沖縄本島中部海岸への上陸を「無血上陸」とすることなどである。

 

第32軍は第32軍でよい

 『新歩く・みる・考える沖縄』の「沖縄戦の実相 4 無血上陸」(10頁)にはタイトルのほか、解説本文の見出しに「米軍の無血上陸」があり、「南西諸島守備軍(第32軍)」、「日本守備隊」、「沖縄守備軍」が「日本軍」を表現する用語として繰り返し使われている。ワンポイントには「沖縄守備軍」の解説もついている。

 『沖縄県平和祈念資料館総合案内』の「沖縄戦への道」には「沖縄守備軍の展開と飛行場建設」(41頁)で「南西諸島方面の防衛強化のため、沖縄守備軍(第32軍)が創設された。」とある。

 この「沖縄守備軍」の呼称、「米軍の無血上陸」という理解でよいのか。結論を先にいえば、第32軍は沖縄(県民)を守らなかったのだから「守備」軍と呼ぶことはないだろう。また、「無血」とは流血を見ない、の意であるから、日米双方に死傷者を出した米軍の沖縄本島上陸に、「無血上陸」は適切な表現ではない。

 「沖縄方面(南西諸島)の防衛に任じた第32軍」「沖縄作戦は、80万同胞を包含する国土の防衛作戦」(『沖縄方面陸軍作戦』まえがき)とあるが、本文には軍または第32軍を「守備軍」とする表現は一度もない。沖縄(県民)を「鉄の暴風」にさらして絶望の戦争を続け、軍人を上回る一般住民の犠牲者を出したこと、国体護持のために沖縄を捨て石したこと、は周知の事実で、県民の常識である。まして国の公式戦史さえ使っていない。第32軍は第32軍で十分であり、「沖縄守備軍」と美化する必要はない。

 

上陸戦闘では日米双方に犠牲者

 『沖縄方面陸軍作戦』は「米軍の本島上陸と前方部隊の戦闘」のなかで「北、中飛行場方面の前方部隊の戦闘」として、特設第1連隊(長 青柳時香中佐)と独立歩兵第12大隊(賀谷支隊)の戦闘が次のように記されている。

「学生隊を含め2800余の「特設第1連隊は猛烈な砲爆撃下で米軍の上陸を迎えたが、砲兵もなく夜間斬り込み以外に打つ手がなかった。4月1日連隊本部と各部隊の連絡も断絶し、各部隊各個の戦闘に陥った」 (269〜273頁)

「賀谷支隊は第62師団長直属として中頭地区に配置されたが、「4月1日日米軍が上陸するや砲撃を開始し、海岸付近の部隊は直ちに交戦状態に入った」「2日、各隊は戦車を伴う米軍の攻撃を受け、戦闘は激烈となった」 (同前278、279頁)

「軍は米軍上陸による地上部隊の損害として、4月5日、次のように報告した。戦死361(15)、戦傷629(7)、( )は将校の数と推定。」 (同前296頁)

 作戦参謀の八原大佐は「戦後、幾多の史書に、軍が洪手して、アメリカ軍を上陸させたとして、とかくの批判がある。」(『沖縄決戦』4頁)と書いているが、この「洪手」を無抵抗=無血上陸とすることは妥当ではない。

 なぜなら、米軍側もまた「人員の損耗 戦死28 負傷者104 行方不明27」とあり(陸上自衛隊幹部学校『10Aを中心とする米軍の作戦』72頁)、出典は示されていないが、「数字で語る沖縄戦」の(16)にも同じ数字が出ている(『新歩く・みる・考える沖縄』148頁)からである。


Copyright(C) 2005 Okinawa Peace Network. All rights reserved.