(第36号;2003)  新垣安子 「沖縄を愛した伊藤さん」

 2002年の慰霊の日は、例年になく暑かった。首里高等女学校の慰霊祭を取材するため、糸満市米須の慰霊祭会場まで具志頭村経由で車を走らせた。摩文仁の手前から渋滞でなかなか進まない。オーバーヒートにならないようにクーラーを切り、窓を開けた。通りをゆく人たちの声が聞こえてきた。「あんたたち、首相の顔見たねー」「見たよー」「よかったねー」と、そんな会話であった。間もなく、対向車線をパトカーに先導された黒塗りの高級車が、数台走り抜けていった。

 それから2日後の6月25日、私は札幌の伊藤孝さんと一緒に、厚生年金休暇センターで昼食をとった。伊藤さんとは長いおつきあいがある。「沖縄ってこんなに暑かったかなあ。今年は異常だね」と流れる汗をふきながら、それでも伊藤さんは「20日は名護の三中健児の塔、慰霊の日には白梅の塔で慰霊祭の模様を取材してきた」と、いつものやさしい顔で話していた。

 1991年の秋だったと思う。当時私が勤めていた浦添市教育委員会に、『浦添市史』第5巻沖縄戦体験記録を購入したい、と札幌から一本の電話が入った、それが伊藤さんとの出会いであった。

 「戦時中の慰安所関係資料が『浦添市史』に出ていると、こちらの朝日新聞で読みました。私は戦中派です。沖縄戦で義兄を亡くしましたが、沖縄のことは何も知りません。これから勉強したいと思います」。何だか嬉しくなって、お礼の手紙を書いた。そして伊藤さんと私の文通が始まった。

 1992年の4月、伊藤さんと初めて会った。地図を片手の一人旅で、沖縄戦の跡をしっかりカメラに納めるのだと言っていた。リュックサックにジーパン姿の伊藤さんと対面した時、本当に不思議な人だと思った。

 札幌に戻った伊藤さんから定年退職の挨拶状が届いた。「ベートーベンの第九『歓喜の歌』とともに、今後は地域活動に励みます」と、こんなふうに結んであった。クラシック音楽も、共通の話題になった。その後、私たちが佐敷町で「シュガーホールにエールを送るカノンの会」を仲間と始めた時、伊藤さんは賛助会員になってくれたのだった。

 以来、伊藤さんは何度沖縄を訪れたことだろう。その度に県内の市町村史編集室や書店を回り、沖縄関係の本をどんどん購入していた。時々、分からないことがある、といってはすぐ電話が入る。沖縄と真摯に向き合う伊藤さんに、私はいつも励まされてきた。

 伊藤さんはただの沖縄病患者ではなかった。1995年だったか、関係者に呼びかけて北海道沖縄県人会を発足させ、副会長としていろいろな活動を展開した。少女暴行事件の県民大会にも参加した。

 「もっと多くの人に沖縄を知らせなきゃ」というのが口癖で、県人会発足後は札幌で沖縄物産展を開催したり、沖縄戦の語り部による芝居「アンマーたちの夏」を主催したコープを支援したり、また自身はアルコールがほとんどだめなのに、札幌に泡盛同好会をつくり、その普及にも力を注いだ。4、5年前北海道沖縄事務所が閉鎖されるというので、存続願いの陳情団として県人会の人たちと県庁を訪れたこともある。結局、事務所は閉鎖されたようで、電話で連絡してきた伊藤さんは、ずいぶんがっかりしていた。

 2002年3月26日から4月4日まで、伊藤さんは札幌のギャラリーで写真の個展を開いた。テーマは「沖縄戦慰霊の旅」。友人と共同で花を送った。会期中大勢の人が訪れたことが、北海道新聞に紹介されている。

 私は知らなかったが、伊藤さんの沖縄訪問は今回で21度目になるらしかった。厚生年金休暇センターで食事をしながら、来年は学徒隊を中心とした写真展をやるつもりだと、言っていた。午後1時半頃、ホテルに戻る伊藤さんと佐敷町役場前のバス停で別れた。それが伊藤さんと永遠の別れになろうとは夢にも思わず、「また来年」と手をふった。

 白梅同窓会副会長の中山きくさんから、「伊藤さんが亡くなった」との知らせを受けたのは、6月27日の夕方であった。死亡推定時刻は25日の午後3時から4時の間。死因は心筋梗塞。検視の結果、それが分かったという。発見された時、伊藤さんはベッドの上でまるで眠っているような姿だったらしい。佐敷からホテルに戻り、少し休むつもりでベッドに横になられたはずなのに…。悲しいけれど、最後まで戦中派の一人旅を貫くなんて、伊藤さんらしいとしか思えない。

 ご遺体を迎えに来られた奥様の伊藤栄子さんから、いろいろ話をうかがった。「伊藤は大好きな沖縄で亡くなって、本望だと思います」と言われた。享年76歳。もっともっと長生きして欲しかった。でも、沖縄をこよなく愛し、平和のために活動された伊藤さんの死を決して無駄にはしない。

 「僕が死んだら、沖縄の海に散骨して欲しい」と言っていた伊藤さん。冗談かと思って聞いていたが、もしものことがあったら読むようにと家族に残した手紙の中に、その散骨のことが書かれているという。


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