(第33号;2002)  岡 健介 「国家」という枠

 沖縄から県外に出す荷物は通常通りだけれど、県外から沖縄に入る荷物は従来よりも1日遅れで到着することになった。「米軍の関係で空港に1日留め置かれる」とかなんとか、そんな説明を配達員の方から受けた。

 本来、約束している日数で到着しないと発送の段階で荷主に了解を求めるのならば、沖縄への荷物は料金を割り引きすべきではないのか、と感じたものの口にすることはなかった。

 企業も利用者も、宅配便が普段より1日多くかかることへの理由を「米軍の関係」「テロの影響」であっさりと納得してしまっている。企業の側では「お客様からの信頼はどうなるッ!」という議論はあったのだろうか? 配達員さんのあの説明では、とても想像できないが…。

 こうしたことが宅配便業界に限らず、いくらでもあっただろうといまさらながら思い返す。結果的とは言えるかもしれない。けれど消極的にではあるにせよ、戦争によって生活が規制されることに対してわたしたち自身もまた了解を出してしまったのではないか。「まぁ、しょうがないですねぇ」との事後承諾で。沖縄へ宅配便を送る側も沖縄で受け取る側も、あのときもっと怒るべきだった、と有事法案の報道に触れながら思い知らされている。

 企業活動もまた国家という枠の中で行なわれているという、当たり前のことにいまさら気づかされながら…。そう、多くのモノが国家の枠からはみ出ないことを条件として存在を許されている。

 わたしが連なるキリスト教会もかつてそうであった。

 日本のプロテスタント教会最大手「(旧)日本基督教団」は1941年にスタートした。

 当時の様々な宗派のキリスト教会が「合同」して一つの大きな教会となったのだった。しかも、それは自分達の意思による「合同」ではなかった。各宗教団体をまとめて都合のいいように扱うための「宗教団体法」なる国家の危険な体制を、何ら批判することなしに受け入れた結果の出来事だった。だから沖縄に建っていたキリスト教会もその多くが、1941年以降には「日本基督教団」を形成する教会となり、それらの集まりは「(旧)日本基督教団九州教区沖縄支区」と位置づけられた。

 1946年、敗戦から1年後に開かれた第4回(旧)日本基督教団総会の資料の中には「九州教区沖縄支区」というグループの名前が記されていなかった。日本という国家の枠の中でのみ成立する「(旧)日本基督教団」にとって、施政権がアメリカにある沖縄とは、自分達の存在領域の外に存在するものでしかなかったのである。

 こうしたスタートそのもの、そして1969年に行なわれた「沖縄キリスト教団」と「(旧)日本基督教団」の「合同」とそれ以降、そして現在に至るまでキリスト教会もまた、国家の枠の中でしか自分達の存在を意識していない。国家を相対化する作業は、キリスト教会のみが実現可能だとはもちろん言わない。けれど、そうした仕事が教会の重要な務めの一つであることは明白だ。

 6月24日を「創立記念日」とする(旧)日本基督教団…。このマイナスの遺産を担うことの責任とそれがもたらす可能性に、わたしはようやく気づき始めた。


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