(第46号;2004) 岡 健介 「牧師と名乗る責任」
沖縄・佐敷町に来て、変わったことのひとつ。それは「職業欄」への記入方法。たとえばレンタルビデオ屋さんの会員になる時や懸賞に応募するとき、回答するアレだ。
沖縄に来る前は3年間、岡山市内の教会で働いていた。キリスト教教会の牧師、当時も今もこれがわたしの職業。が、あの頃「牧師」と記入することなど全くなかった。いつも「自由業」と書き込んでいた。「職場」である教会を離れれば、匿名で生きられる「都会」ゆえだったかもしれない。何より「変わった人と思われたくない」という他者の視線への恐れが強かった。
こちらに来てから自動車の免許を取得した。地元の馬天自練に通った。教習の際、職員さんから「お仕事は?」とよく訊かれた。佐敷町の人口は1万ちょっと。ましてワタシはヤマトの人間。やっぱり目立つ。「自由業」なんて答えられない。「牧師です」と答えざるを得なかった。40日近い教習でたくさんの職員さんと車に乗り込み、そのたびにこの質問をされた。多くの方がわたしの赴任した教会をご存知だった。この時代の中で、教会への漠然とした期待を語ってくださった方もいた。「自由業」と職業欄に記入していた頃、わたしは牧師ではなかったと気づかされる。
阿波根昌鴻さんが天に召された。1955年、「銃剣とブルドーザー」が伊江島を襲ったとき、阿波根さんは沖縄島のキリスト教会を訪ね、協力を求めたという。しかし、多くの教会が「あなたがたはこの教会の信者ではないから」「この問題は教会が関わる事柄ではない」と拒否した…。有名なエピソードだ。
この事件は、牧師であろうとするわたしに重くのしかかる。「40年以上前のことでしょ、今の教会はそんな無責任な存在じゃない」と、わたしは言い切れない。「面倒なこと」と関わり合いになることを恐れ、「それはちょっと…」とわたしはどれほどの人を切り捨ててきたことか。いくつの苦悩を見ないふりしていることか。痛みに関われないでいる今、わたしはやはり牧師ではない。
「アメリカ軍と土地と教会」(注)という小論で、阿波根さんはキリスト教会の使命を鋭く問いかけている。この問いへの応えと共に生きようとするとき、「牧師」と名乗る責任への畏れがわたしを震えさせる。しかし、この畏れこそがわたしの中に根深く巣食う恐れと向き合う力なのだろう。
(注)『二七度線の南から?沖縄キリスト者の証言』日本基督教団沖縄教区編、1971年、日本基督教団出版局発行