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国民を戦争に駆り立てるために支配者側が繰り出した「法律」「勅令」の内容の凄まじさ、またその積み重ねの力と弾圧の前に国民は手も足も出ず、「死へのシステム」に組み込まれて行った状況が浮かび上がってきて戦慄すべきものがありました。またそこからは今の日本はその何段階かの道へ踏み出してしまっているのではということが透けて見えて来て、ぞっとする思いをした学習会でもありました。あとの質疑応答、意見交換では「連続講座」にしてさらに勉強したいとの声も出ました。(学習部会員)

10月17日、那覇市内にて沖縄平和ネットワーク学習会「『軍命』とはなにか」がありました。講師は沖縄国際大学非常勤講師の津多則光さんです。
現在、大江・岩波沖縄戦裁判や歴史教科書検定問題によって、沖縄戦における「強制集団死」の本質が歪められようとしています。そういったなかで問われている「軍命」とは何かを検討する内容でした。
これまでの「軍命」という概念の曖昧さを指摘し、住民が「軍の命令、強制、誘導」等によって「死なざるをえなかった状況や条件がどのようにシステム化されたか」を明らかにしています。沖縄戦において、住民と日本軍との関係はすべて「軍命」に基づいたものであるとし、それは日本軍による住民虐殺、「集団自決」「徴発」「徴兵」「徴用」「陣地構築動員」「炊事」「学徒隊の動員」「戦車弾劾の構築」「日本軍の民家宿営」「疎開」「ガマ追い出し」「食糧強奪」「住民スパイ視」などの現象についても同様であり、これらの現象に「軍命」があったかなかったかを問うことは無意味であるとしました。それらの現象が現れなかったことは「軍命」が無かったということではなく、「軍命」が行使されなかっただけということであると指摘しました。そのなかで沖縄戦における「強制集団死」がどのように位置づけられるかを述べ、統帥権の性格や「軍令」、「軍政」の内容を提示しています。そして、沖縄戦において住民は統帥権による強制作用によって戦争に巻き込まれ、その「強制を伴う条件」としては「法令による国家及び県市町村等からの法的強制」が根幹となっているということを指摘しました。こういった論理から沖縄戦における様々な事象はどのような「法的根拠」によって位置づけられるのかを、沖縄戦証言を対象に明らかにしています。
大江・岩波沖縄戦裁判において、原告側は「強制集団死」への軍命令を恣意的に定義づけ、日本軍の責任、あるいは、国家の責任を曖昧にしてしまっています。それは「強制集団死」そのものを矮小化するものでもあります。手榴弾の配布、戦前の皇民化教育や、軍の「軍官民共生共死の一体化」方針、日本軍の指示や誘導などいわゆる「広義の強制」が「強制集団死」への軍命令だとする被告側主張を「論点ズラシ」であるとし、あくまで戦隊長による直接の命令の有無を問題にしていのが現在の原告側主張です。
今回の学習会は、日本軍の体質や軍の論理、住民がどのように戦争に組み込まれていくかを詳細に整理することで、こういった原告側主張に反論し得る内容でありました。(学習会参加者)
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