2007年05月27日(日) 学習会
 「恩納・宜野座 ゼロからの闘い
 〜米軍都市型戦闘訓練施設建設阻止闘争の現場を歩
く」



恩納村コミュニティセンターでの
座学

 梅雨で雨が心配されたなか、晴天で迎えた5月27日の日曜日。1980年代後半から1990年代前半にかけての恩納村都市型戦闘訓練施設建設阻止闘争についての学習会を現地で行いました。子供から研究者まで多様な20数名の参加者とともに、午前中は元恩納区長の池原曄一さんと山城一彦さんから話を聞かせてもらいました。お二人からは、区長として何を問題視したのかということや、闘争をすすめていった経緯、その過程で大切にしたことは何だったのか?ということを聞かせてもらうことができました。

 その後の質疑応答の時間では、基地収入の多い自治体でどのように新施設建設の反対闘争を進めていったのか?ということや、どのように若い人を参加させ、村ぐるみの闘争にしていくことができたのか?ということなど、活発な意見交流を行うことができました。

 中でも、特にヘリパッド建設で揺れる東村高江からの参加者からの意見・質問などを通して、どのようにこれからの闘争に恩納の経験を活かしていくことができるか?という点についても話が及び、「歴史に学ぶ」シリーズにふさわしい内容になったのではないかと思います。

 恩納区出身で、地元の動きを外からサポートした大城保英先生からは、この闘争が村ぐるみのものとなり、最終的に米軍の戦闘訓練施設建設中止・撤去という成果を勝ち取ることができた要因として、(1)当時の状況として米軍による流弾被害などが多発していたという点、(2)参加者の利害の対立を避けるために「水を守る」という共通の目標を掲げたという点、(3)広く県内外の支援の輪が地元の闘いを支えたという点、(4)これまでの沖縄の闘い(具体的には国頭村安波の闘いなど)を「モデル」とした点をあげられていました。

 午後は強い日差しの中でしたが、大城先生の案内で資材搬入を阻止するために座り込みを行った道路、闘争小屋の跡地、キャンプハンセンのゲート前、恩納岳が一望できる場所など現地をまわりました。



資材搬入を阻止するための
座り込み現場にて



恩納岳に包まれて…
建設予定地を望む

 58号線沿いの小道で当時大規模な座り込みがあったことは信じられませんでした。しかし、話を聞き、当時の写真を見ていると、改めて何気ない場所の中に貴重な歴史が隠れているのだということを感じさせられました。

 恩納岳が一望できる場所からは、都市型戦闘訓練施設が作られようとしていた場所がよく見えました。森林を伐採して建設されようとした訓練施設はすでに撤去されて跡形もありませんでしたが、その一帯に植樹されたモクマオウの木々がわずかにその痕跡をとどめていました。あそこに施設があったとしたら…。その距離の近さに思わずぞっとしてしまうとともに、改めてこの闘いが村ぐるみのものになった理由を実感できました。

 暑い中でしたが講師、参加者にめぐまれて貴重な学習の機会を持つことができました。本当にありがとうございました。

文責 学習部会

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