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梅雨で雨が心配されたなか、晴天で迎えた5月27日の日曜日。1980年代後半から1990年代前半にかけての恩納村都市型戦闘訓練施設建設阻止闘争についての学習会を現地で行いました。子供から研究者まで多様な20数名の参加者とともに、午前中は元恩納区長の池原曄一さんと山城一彦さんから話を聞かせてもらいました。お二人からは、区長として何を問題視したのかということや、闘争をすすめていった経緯、その過程で大切にしたことは何だったのか?ということを聞かせてもらうことができました。
その後の質疑応答の時間では、基地収入の多い自治体でどのように新施設建設の反対闘争を進めていったのか?ということや、どのように若い人を参加させ、村ぐるみの闘争にしていくことができたのか?ということなど、活発な意見交流を行うことができました。
中でも、特にヘリパッド建設で揺れる東村高江からの参加者からの意見・質問などを通して、どのようにこれからの闘争に恩納の経験を活かしていくことができるか?という点についても話が及び、「歴史に学ぶ」シリーズにふさわしい内容になったのではないかと思います。
恩納区出身で、地元の動きを外からサポートした大城保英先生からは、この闘争が村ぐるみのものとなり、最終的に米軍の戦闘訓練施設建設中止・撤去という成果を勝ち取ることができた要因として、(1)当時の状況として米軍による流弾被害などが多発していたという点、(2)参加者の利害の対立を避けるために「水を守る」という共通の目標を掲げたという点、(3)広く県内外の支援の輪が地元の闘いを支えたという点、(4)これまでの沖縄の闘い(具体的には国頭村安波の闘いなど)を「モデル」とした点をあげられていました。
午後は強い日差しの中でしたが、大城先生の案内で資材搬入を阻止するために座り込みを行った道路、闘争小屋の跡地、キャンプハンセンのゲート前、恩納岳が一望できる場所など現地をまわりました。
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