2005年12月18日(日) 第8回なんくるフィールド塾
 「阿波根さんと伊江島」

 沖縄戦後闘争史の足取りをたどってきた「なんくるフィールド塾」。これまでの7回のフィールドワークの中でも何度も耳にし、あらためて沖縄の戦後を語る上で忘れることができない場所であることを再認識させられた場所。その伊江島に、今回なんくるフィールド塾の最終回の特別編ということで行ってきました。年末の忙しい時期、しかも泊りがけということで心配していましたが、スタッフも含めて13名の参加者で2台の車に分乗して一路伊江島へ。

 伊江島につくと、そのままわびあいの里へ直行し、平和学習に来ていた修学旅行生に混じって謝花さんの話を聞かせてもらいました。短い時間の中で伊江島の沖縄戦、戦後の闘争、沖縄の基地問題、そしてイラクのこと、平和のことと内容の濃い話をされる謝花さん。それでも時間はすぐに過ぎ、資料館をろくに見学することもなく帰っていく修学旅行生。限られた島での滞在時間の中でいろいろなことを体験させたいという気持ちは理解できるが、あまりにも時間的に少ない、もったいない気がしてしまいました。その後は、謝花さんを囲んでの交流会になり、ゆっくりといろいろな話をさせてもらうことに。特に印象に残ったのが、現在までに至る伊江島の戦後の闘いが伊江島の人の独力だけであったのではなく、沖縄はもちろん全国の人たちの支えのもとに継続されていったということでした。その時に話にでてきた夕張から送られてきたという「慰問袋」を、次の日に資料館を見学したときにしっかりと確認することができました。

 夕食をはさんで、今度は復帰前(1968年)の沖縄の各地で撮影された映像をもとに構成されている「沖縄列島」の映画を見せてもらう。復帰闘争、B52反対運動、全軍労闘争などこれまでのフィールドワークでさまざまなところを訪れて学んできたことがリアルな映像として確認でき、大きな収穫に。夜はその映画の内容や、これまでのフィールドワークのことなどを肴にしての交流会。ある参加者曰く「シンポジウム」の語源は「酒盛り」らしく、こうやって酒を飲み交わし、お互いの意見を交し合うことが本当のシンポジウムだとのこと。みなさん遅くまで「シンポジウム」ご苦労様でした(笑)。

 次の日は資料館を見学した後、村議会議員の名嘉さんを講師に招いてのフィールドワークに。城山にて伊江島の基地の概要を確認し、団結道場を訪れる。ここでは2回目の時にも県庁(旧立法院)前で「乞食行進」について話をしていただいた平安山さんに、団結道場の中で伊江島の闘争についてじっくりと話を聞くことに。米軍の訓練も行われず、静かな風景からは50年前の「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる土地接収のことは正直、全く想像できない。それでも、吶々とした語り口で語られる平安山さんの話が進むにつれ、徐々に風景に意味が重ねられていき、資料館で見た写真や物、そして団結道場の存在自体が風景の中に溶け込み、歴史が立ち現れてくるような気がした、不思議な時間でした。

 次に米軍伊江島補助飛行場に行き、金属板が組み合わされて作られているハリアー離発着場や補修訓練のために舗装されずに残っている飛行場の様子など、本島内ではなかなか知ることの出来ない米軍の訓練内容の一部を説明していただくことができました。さらに、島の北側に立ち並ぶゴミ処理施設などを見学し、名嘉さんの準備してくださった資料をもとに「アメとムチ」の「アメ」の部分を確認。ごくわずかな村の負担で出来上がるきれいな施設の数々に参加者からは思わず落胆の声がでていました。

 今回の2日間で一番印象に残ったのは、何度も行ったことがあるはずの「命どぅ宝の家(反戦資料館)」でした。思えば、なんくるフィールド塾では1回目に県立の平和祈念資料館の第5展示室を見学して以来「資料館」と名のつくところには行くことがなかったのですが、最後に行くことが出来てよかったです。あらためてびっくりしたのは何よりそのあふれんばかりの物の量。しかもそれら一つ一つが僕達に多くのことを語りかけてくるものばかりであることに強く心を動かされました。沖縄の戦後をほとんど知らない世代がその時代に興味を持つキッカケとして、あるいは次世代に歴史の事実を突きつける証拠として、こうした物たちが集められ、目の前で見ることができ、触れることができるという意味は非常に大きいでしょう。最後に訪れた伊江島でこれから沖縄の戦後史を学び、伝えていくための重要な手がかりと課題を教えられたような気がした2日間でした。今回の参加者やスタッフはもちろん、なんくるフィールワークを支え、協力してくださったみなさんどうもありがとうございました。



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