2005年8月14日(日) 
第4回なんくるフィールド塾
「復帰前夜の反基地闘争」

  「復帰前夜の反基地闘争」をテーマに行われた真夏のフィールドワーク。有銘政夫さんに一日の講師をお願いし、暑い中で熱い闘争の現場を訪ねてきました。この日の参加者は高校生から年配の方まで、多彩な顔ぶれで、話もより一層盛り上がりました。

 最初にバスが向かったのは旧具志川市(現うるま市)の昆布。天願桟橋に隣接するこの場所は復帰前、1966年〜71年にかけて住民が座り込みを続けて米軍の新規土地接収計画を撤回させた場所です。この場所では現地講師として比嘉秀次さんにお話をしていただきました。実際に高台から天願桟橋と昆布との位置関係、闘争小屋のあった場所を確認した後、バスの中で5年間の座り込みの軌跡を資料をもとに振り返りました。米軍の接収計画撤回を勝ち取った貴重な歴史であるにも関わらず、初めて学ぶことが非常に多く有意義な時間になりました。特に比嘉さんが言われていた「沖縄の他の様々な運動との連携により、より強力な流れを作り出したことが勝利につながった」という言葉が印象に残りました。また、ここでは比嘉さんの知り合いの方々に「沖縄を返せ」や「一坪たりとも渡すまい」などの、当時歌われていた歌を歌っていただきました。歌が始まるとフィールドワークの参加者も一緒になっての大合唱となり、それらの歌に込められた思いの大きさを実感させられました。

 昆布を離れると、今度は71年に行われた毒ガス移送のルートを逆走する形で嘉手納に向かいました。ここでは毒ガスが移送されるにいたった経緯と毒ガス撤去闘争についての話を聞かせてもらいました。また、少し時間に余裕があったため、美里にある奉安殿と忠魂碑を見ることもできました。

 昼食をとった後に、嘉手納の安保の見える丘と道の駅の屋上で嘉手納基地についての話を聞かせてもらいました。有銘さんはサイパンから帰ってきたときには、すでに父親の土地だったところは基地の中になっており、自身は一度も自分の土地を見たことがないこと。また、有銘さんの土地がどこなのかを確定できていないにもかかわらず、他の人の土地ではない、あまった所が有銘さんの土地だと言う施設局の言い分など、貴重な話を聞かせてもらうことができました。その後、沖縄市にあるコリンザの屋上から居住区域という嘉手納基地の「もうひとつの顔」を見た後、コザ暴動の話を聞かせてもらいました。また、最後にはお決まり?の大雨に遭い、びしょ濡れになってしまいましたが、とても充実した一日でした。

 有銘さんの言われたことで強く印象に残っているのは、「軍用地裁判の時に国側は基地があるから平和で安全なんだと言うにも関わらず、爆音訴訟では基地の近くに引越してきた人たちに対しては『危険への接近』という論理を持ち出す」という言葉でした。国側の主張を鵜呑みにするだけではなく、現場に立って見えてくる現実と過去の歴史から何を学び、どんな時代を切り開いていけるのか?そんなことを強く考えさせられました。最後に参加者の皆様、スタッフの皆様、運転手さんもご苦労様でした。どうもありがとうございました。


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