|
資料館では第5展示室にテーマをしぼり、1時間半かけてじっくり見学した後に昼食を食べながら意見交流をしました。そこでは50年代に瀬長市長を支えた那覇市民の動き、高等弁務官の写真の大きさ、天皇メッセージの展示などについて意見が出され、普段通り過ぎてしまうことの多い第5展示室に関する問題点がいくつも浮かび上がることになりました。短時間でしたが、第5展示室に関して、さらには戦後史に関してまだまだこれから先、議論が必要だということを感じさせられる時間になりました。
午後は、戦後収容所が置かれた玉城村百名周辺に場所を移し、現地を歩きながら戦後史のスタートを確認していきました。百名集落の中、「百名初等学校発祥の地」のある場所で実際に収容所におられた大城清子さんに終戦直後の百名の様子について話を聞かせてもらいました。一時はかなりの人が集まったという百名には警察署や病院など様々な施設が置かれて、戦後復興の準備がすすめられていった一方で、収容所の入り口では戦場からの家族の帰りを待つ親達が立ち並ぶ姿が見られたという話を聞かせてもらいました。
その後、1946年に石川から移動してきた民政府が置かれた厚生年金休暇センターや軍政府が置かれた琉球ゴルフクラブ(玉城城跡から一望しました)などを訪れ、終戦直後沖縄の中心地となった知念に関しての話を聞かせてもらいました。普段は南部戦跡をめぐる途中に通ることが多い玉城周辺ですが、その場所が戦後軍政の中心であったこと、さらに軍政府跡に置かれた陸軍の秘密基地で働く基地従業員の話など、「基地の街としての玉城」という一面を垣間見ることができました。また、見学地一帯は大城先生が育った場所であり、講師のさまざまな個人的なエピソードが場所ごとに加えられ、その時々の様子がより鮮やかなものとして目の前に浮かんできました。
戦後史の中では目立たない時期のことですが、生活の隅々にまで及んだ米軍によるさまざまな規制を少しずつ払いのけて、一人一人が自分達の生活を獲得していったのがこの時期であったという印象を受けました。そして、そうやって普通の生活をしていくことこそが、ささやかな抵抗だったのではないでしょうか。これがこの後どうなっていくのか、次回以降がますます楽しみになりました。
P.S. 最後の最後で雨に濡れてしまった参加者の方、風邪ひいてませんか…。少し心配です。
|