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轟の壕とは
沖縄本島南部の喜屋武半島中央部から名城海岸へかけて、全長約1、2キロメートルに及ぶ地下水脈の通った地下洞窟が形成されている。その地下洞窟は地表に開口する箇所があり、伊敷部落の南の丘に開口しているのが「轟壕・トゥルルシガマ」である。他には「ウッカーガマ」「ウンジャーガマ」などの洞口がある。

沖縄戦が始まる前、名城集落住民が避難壕として整備し、米軍の空襲や艦砲等には避難壕として使用していたが、5月中旬ごろ、日本軍による壕追い出しがあった。

5月下旬から6月上旬にかけて、避難民が入ってくるようになり、日本兵のグループも入ってきた。さらに、島田知事など県の幹部等も避難してきた。どれくらいの人たちが入っていたか定かではなく、500から600人とか1000人以上という証言がある。6月中旬、島田知事は「後方指導挺身隊」を、荒井警察部長は「警察警備隊」を解散させ、摩文仁の司令部へと出て行った。壕内の日本兵は、それを機に民間人を壕の左側に閉じ込め、見張りを立たせ米軍への投降を阻止した。食料不足による餓死者が続出、多数の死者が出たが、確かな数字は不明である。

6月25日、米軍と脱出に成功した宮城嗣吉らの呼びかけで多くの住民はガマを出たが、右側奥深く隠れていた地元の住民の一部はそのことを知らず、ガマを出たのはずっと後だった。

 所在地:糸満市伊敷

 轟の壕をもっと知るために(参考資料):

・琉球政府 『沖縄縣史 第9巻 各論編8 (沖縄戦記録 1)』 1971
・琉球政府 『沖縄県史 第9巻 各論編8 (沖縄戦記録 1)』(復刻版) 国書刊行会 1989
・安里要江、大城将保 『沖縄戦−ある母の記録』 高文研 1995
・糸満市史編集委員会 『糸満市史 資料編7 戦時資料 下巻』 1998
・石原昌家 『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』 集英社 2000


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