アブチラガマ所在地
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クラシンジョウの壕とは
クラシンジョウの壕は、具志頭城跡崖下にあり、自然洞穴と構築壕でできている。自然洞穴部分にはカマド跡や石積みが確認できる。構築した坑道部分の両側には、坑木やロウソク台の跡などがくっきりと残っている。通路は高さ・幅とも約2m前後の部分と、幅約1m、高さ約2mを測る部分とがある。

南側に隣接する独立した岩場には、銃眼が設置されている。銃眼部分はコンクリート製であり、鉄の骨組みが現在でも残っている。また、周辺にもいくつか構築壕が残っている。

壕の構築・整備は、第9師団(通称、武部隊)が配備されていた頃に行われていたと思われるが、詳細は不明である。住民との関わりも、現在のところ判明していない。

第9師団が台湾へ抽出移動後は、第89連隊第2機関銃中隊が配備された。日本軍は米軍の港川上陸に備えて、港川を囲むように部隊を配備していた。この部隊はその一部である。これらの部隊も4月21日以降、運玉森周辺へ配置換えされた。摩文仁への撤退までの間、この壕の状況は不明である。

摩文仁へ司令部が撤退した後は部隊の配置変更により、独立混成第15連隊が使用していたようである。証言から、独立高射砲第27大隊なども壕内にいたようである。

クラシンジョウの壕が住民の避難場所として使われたのか、使われなかったのか、その他、クラシンジョウの壕に関する証言などがほとんどなく、現在でもその全容はわかっていない。

「クラシンジョウの壕」の名称に関して、「クラシンジョウの壕」、「クラシンウジョウ(暗御門)」、「クラシンジョー壕」などの表現がされている。また、沖縄平和ネットワークの学習会において「具志頭城址陣地壕群」という名称も提起されたが、名称については、まだ一致をみない。ここでは「クラシンジョウの壕」という名称を使用することとする。

所在地:具志頭村具志頭

クラシンジョウをもっと知るために(参考資料)

・沖縄県高等学校教職員組合南部支部平和教育研究委員会編 『歩く・みる・考える 沖縄』 沖縄時事出版 1986
・具志頭村教育委員会 『具志頭村の文化財−文化財要覧』 1997
・渡辺憲央 『逃げる兵』 文芸社 2000 (初版 マルジュ社 1979)
・石原昌家 『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』 集英社 2000
・沖縄県立埋蔵文化財センター編 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査1 南部編』 2001
・沖縄平和ネットワーク 文化財・ガマ部会 『ガラビ・ヌヌマチガマ』 沖縄平和ネットワーク 2001
・読谷村史編集室編 『三人の元日本兵と沖縄』 読谷村役場 2002


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