| 沖縄本島南部の玉城村糸数にある自然洞穴で、全長は270メートルに及ぶ。
はじめは、日本軍(独立混成第44旅団歩兵第15連隊、通称:美田連隊)がガマの中に通路や小屋、ポンプ井戸をつくるなど陣地壕として整備した。美田連隊は4月の下旬、戦力補強として首里戦線へ移動していった。
その後、沖縄陸軍病院の分室が開設され、ひめゆり学徒隊14名(後に2人合流し、16名となる)を含む病院スタッフが入り、5月下旬まで、連日運ばれてくる傷病兵の治療・看護をした。しかし、薬品・医療器具等も少なく、手術といっても、麻酔なしの手足の切断であった。また、喜屋武半島に撤退する時、重症の傷病兵は置き去りにされた(青酸カリを配られたという証言もある)。
6月以降は、食糧の見張り番となった日本兵と地元住民が米軍の投降勧告にも応じず立てこもった。住民らと生き残った傷病兵がガマを出たのは8月22日である。
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